イード・ル・アドハー・ムバーラク

こんにちは!
今日で5日間のイード休暇も終了し、いつものように学校が始まりました。
さて、「イード・ル・アドハー」と書きましたが、日本語で言えば「犠牲祭」のことです。ちなみに、「イード・ル・アドハー・ムバーラク」は「犠牲祭おめでとうございます」といったところでしょうか。

イード・ル・アドハーの宗教的起源に関してですが、クルアーンに描かれているアブラハム(イブラーヒーム)が彼自身の息子を神の命令に基づいて犠牲にしようとした故事を記念する祝祭です。
ちなみにアブラハム(イブラーヒーム)のこの故事は、旧約聖書の『創世記』にも描かれており、神の命令を信じてアブラハム(イブラーヒーム)が一人息子イサク(イスハーク)を犠牲にしようとする記述が描かれています。ただ、旧約聖書とクルアーンの記述にはいくつか差異があるようで、3つの天啓宗教、さらには各々の宗教内の宗派ごとにも細かな部分では色々な議論があるようです。
Wikipediaで恐縮ですが、さらに詳しく知りたい方は下記リンクを参照下さい。
ちなみに、イスラームではイードは2回あり、一つはこのイード・ル・アドハー、もう一つはラマダーン明けのイード・ル・フィトルです。イード・ル・アドハーの方が大きいので、大イード(イード・ル・カビール)などとも呼ばれます。

◎イード・アル=アドハー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%8F%E3%83%BC
◎イサクの燔祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%87%94%E7%A5%AD

さてイード・ル・アドハーにまつわるこちらの慣習といえば、親戚のところを尋ねたり、特別な礼拝を行ったりなど様々なことがあるのですが、その中でも特徴的なのが羊を屠ることです。これも先ほどのアブラハム(イブラーヒーム)の故事に基づいた慣行です。
イード中の朝の礼拝後に羊を屠るのが決まりで、昔は各家庭に羊を連れてきて、男系家族がほぼ総出で行っていたようですが、最近では資金的な問題や衛生面、手間などの観点から、街の肉屋さんに自分で購入した羊を屠ってもらい、そこで必要な分の肉を家に持ち帰るという形式が広まってきているようです。
滅多にない機会なので、自分もルームメイトとイード初日に早起きし、朝の礼拝を見学させてもらった後、羊を屠っている肉屋さんを見学させてもらいました。以下の写真は肝心な部分はあまり写していませんが、血を見るのが苦手な方は避けられた方が良いかもしれません。

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羊ごとに番号がついており、これで誰が購入した羊かが分かるようになっています。
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肉屋の手捌きは非常に鮮やかでした。屠る前に「ビスミッラー・アッラーフアクバル(神の名において、神は偉大なり)」と唱えてから、屠っていきます。
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購入者の前で屠るのが決まりらしく、続々と羊を購入した人たちが家族を連れてやってきていました。

このようにして、犠牲祭中は羊を屠るので家では当然肉を使った料理が出てきます。イード中ヘブロン郊外の友人とベツレヘムに住んでいる友人を訪問し、ご馳走してもらった料理を紹介します。

ヘブロン近郊のダーハリーヤという町の友人の家でのマンサフ。この町は、西岸のほぼ南端に位置し、ネゲブ砂漠にも近く、週末にはベドウィンが車できて買い物をしに来るそうです。ダーハリーヤ自体もベドウィンが定住してできた町なのか、家庭でもマンサフが出てきました。
ヘブロン近郊のダーハリーヤという町の友人の家でのマンサフ。この町は、西岸のほぼ南端に位置し、ネゲブ砂漠にも近く、週末にはベドウィンが車できて買い物をしに来るそうです。ダーハリーヤ自体もベドウィンが定住してできた町なのか、家庭でもマンサフが出てきました。
ベツレヘムでこれまたご馳走になったマハシーとダワーリー(別名ワラカ)。マハシーはナスやズッキーニにご飯を詰めて煮込んだもので、ダワーリーは同じくご飯を葡萄の葉で包んだものです。どちらも多少味付けなどは異なりますが、中東で広く見られる料理です。
ベツレヘムでこれまたご馳走になったマハシーとダワーリー(別名ワラカ)。マハシーはナスやズッキーニにご飯を詰めて煮込んだもので、ダワーリーは同じくご飯を葡萄の葉で包んだものです。どちらも多少味付けなどは異なりますが、中東で広く見られる料理です。

 

結局、羊と羊肉を使った料理の説明に終始してしまいましたが、充実したイード休暇を過ごすことが出来ました。

ヘブロン

こんにちは。
さて今回はナーブルスを離れ、先週末の土曜日に大学主催のフリーツアーで行ってきたヘブロンについて書きたいと思います。ツアーではベツレヘムにも行ったのですが、ほとんど時間がなく1時間程度しかベツレヘムにしかいなかったので、ここではヘブロンについてに絞ります。

ベツレヘムはイエスの生誕の地として、パレスチナ/イスラエルではエルサレムの次くらいに有名な観光地ですので、皆さんご存知だとは思いますが、ヘブロンはなかなか知っている方は少ないかもしれません。
ヘブロンにはセム系一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の祖であるアブラハム(亜:イブラーヒーム)の募廟があり、イブラーヒーム・モスクの中にあります。
このアブラハムの聖廟はユダヤ教徒にとっても非常に重要な聖地であり、イスラエルの宗教右派の一部の人間による入植が激しいところでもあります。67年の第3次中東戦争でイスラエルの占領下に置かれ、その後97年のヘブロン合意以降に町の8割が自治政府に返還されましたが、現在も旧市街の一部を含む町の2割がイスラエル軍による占領下にあります。

今回のツアーの主眼はこうした政治的な側面ではなかったということと、単純に時間がなかったなどの理由もあり、上述のイブラーヒーム・モスク、クーフィーヤ工場、靴工場、ガラス工場に見学に行きました。
ヘブロンはアラビア語ではアル・ハリール(Al-Khalil)と呼ばれ、西岸最大の都市の一つです。古くからパレスチナ内陸部の産業・経済の中心であり、ガラスや陶器の生産が特に有名です。

下の写真は靴工房の写真です。

さらに下の写真はクーフィーヤ工場での1枚。クーフィーヤにはいろんな柄がありますが、この白と黒の模様はパレスチナカラーです。そもそも、パレスチナ・ナショナリズムが興隆する以前に、現在の領域で言うところのパレスチナ全域でこの模様が一般的であったかは確証がありませんが、アラファトがこのクーフィーヤを象徴的に使い始めて以降、パレスチナの政治的・文化的シンボルとして世界中に知られるようになっていきました。

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よく見るとSUZUKIの文字が。クーフィーヤを作っている機械は日本製だったんですね。

そしてお次は、イブラーヒーム・モスクの内部の写真です。

 

最後にヘブロンの街角での写真をば。

 

 

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写真からも分かるように天気の良い日でした。暦の上では昨日(9月21日)から秋だそうです。

明後日、木曜日からイード・アル・アドハー(イスラームの犠牲祭)が始まります。今日は休暇の準備のための買い出しで街角は人で溢れ、家に帰るセルビスを捕まえるのにさえ一苦労でした。さながら日本の年末の様相を呈しております。少し渋谷や新宿の人ごみを思い出しました。

それでは。

現地の歯科検診

先日プラグラム参加者が現地で歯科検診を行いました。
現地の甘いお菓子を食べ過ぎて虫歯になってしまったわけではありません。
これは大学で行う歯科検診ではなく、参加者個人の希望により、弊社現地スタッフの付き添いのもと市内の歯医者さんを訪問しました。

Dentist1 Dentist2

 

なかなか設備の整った歯医者さんだったようです。先生は女医さんだったそうです。

カフェテリアの様子

こんにちは。
相変わらず学校の課題や慣れない自炊などに追われる日々を過ごしております。
今日は学食(カフェテリア)の様子について手短に報告したいと思います。

ナジャーハ大学は生徒数がパレスチナで最も多く、パレスチナでは最大の大学で、本拠地であるナーブルスにもオールドキャンパスとニューキャンパスの2つのキャンパスがあります。
普段私たちがアラビア語の授業を受けているのは、ニューキャンパスにある図書館内の教室です。ビザの面倒を見てくれる国際部や、教授のオフィスなどの本部機能は大体オールドキャンパスの方にあるので、手続きの際などは自分たちもオールドキャンパスに行くことがあります。
ですが、週5日の授業は全てニューキャンパスで行われるので、今日はニューキャンパスのカフェテリアに限って報告したいと思います。
ちなみに食堂のメニューなどは両キャンパスともほとんど変わりませんが、ニューキャンパスのものの方が席数、広さともに倍くらいあります!

ニューキャンパスのカフェテリア。アラブポップが常に爆音で流れています(全席禁煙◎)。
ニューキャンパスのカフェテリア。アラブポップが常に爆音で流れています(全席禁煙◎)。
本日の昼食。ファラフェルサンドとグアバジュース。
本日の昼食。ファラフェルサンドとグアバジュース。

上の写真では「本日の」と書きましたが、大体毎日このセットで食べています(笑)
ファラフェルサンドは1つ4シェケル(約120円)で、これだけで十分お腹いっぱいになる代物です!食堂のメニューはほかにもありますが、8割型の生徒はこのファラフェルサンドかファラフェルの代わりにハムやチーズを挟んだものを食べていますし、コスパ的にもファラフェルサンドは他のメニューの中で郡を抜いています。
前に一度だけシャワルマを頼んだことがありますが、これもまた非常に美味でした。ただ11シェケルするので、なかなか毎日食べるわけにはいかず、たまに肉をどうしても食べたくなった時だけにしようと思っています。

 

数年ぶりの規模の砂嵐…。

こんにちは、留学生のマサトです。
昨日からシリアやレバノン、ヨルダン、パレスチナなどの地域で、数年に一度規模の砂嵐が猛威を奮っています。
特に風が強かったり、目が開けられないといったことはないのですが、逆に言うとそれだけ粒子が細かく、空気全体が重く埃っぽい嫌な天気です。。
下の写真は昨日の大学構内の様子。普段は向こう側の山まで見えますし、もっと美しいのですがこの有様です。参考までに大学のFBページから通常時の写真を添付しておきます。

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<昨日の構内>
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<昨日の構内②>
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<普段の様子> 出典:https://www.facebook.com/annajah.edu?fref=ts

また天気が回復したころに、構内の様子を紹介できたらと思います!

さて今日は少し大学の授業の様子についても紹介していきたいと思います。

まず基本的なスケジュールですが、日曜から木曜まで(アラブ世界では金土が週末のところが多いです)の週5日授業があり、朝9時から30分の休憩を挟んで、90分の授業が2コマあります(つまり12時半には授業は終わります)。
スケジュールだけ聞くと、結構ゆったりしているようにも聞こえますが、毎日宿題を出され、量もそこそこ多いのでスケジュールの見かけよりは結構忙しい日々を送っています。

次に授業の内容に関してですが、日本人3人の学生は5種類のコースを現在履修しています。「読解」「会話」「時事」「文法」「アーミーヤ(方言、話し言葉)」で、最初の4つはフスハー(正則アラビア語、書き言葉)を勉強し、先生もフスハーを使って授業をします。「アーミーヤ」だけはアーミーヤ(パレスチナ方言)について勉強し、先生もアーミーヤを使って授業をしてくれます。ちなみにナジャーハ大学のArabic for Non-Native Speakersでは、全ての授業はアラビア語のみで行われます。分からない単語があったら、アラビア語で言い換えて説明してくれます(笑)。

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アーミーヤの授業の様子です。アーミーヤでの動詞の活用の仕方を教えてくれています。
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授業で使っている教科書の一覧です。大学が独自で作成している教材がほとんどです。

 

明日もまた授業です。頑張ってきます!

ジバール・ナブルスとクナーフェ

さて今回の投稿では、ナブルスの街の概要と名産品クナーフェについて紹介していきたいと思います。

タイトルに書きましたジバール・ナブルスはアラビア語で、日本語にすれば「ナブルス山系」といったところでしょうか。パレスチナを訪れたことのない人には想像が付きにくいかもしれませんが、西岸地区を含め、パレスチナ地域の内陸部の多くはいくつもの山(丘陵)が連なる起伏の多い地形です。北部のガリラヤ地方などは平野が広がっていますが、例えばエルサレムなどもジバール・アル=クドゥスなどと呼ばれていますし、西岸南部のヘブロンなども標高は1,000メートル近くあります。

そうした中で、ナーブルスという町はジャバル・イーバール(Mt. Ebal)とジャバル・ジェリズィーム(Mt. Gerizim)という2つの山に挟まれた、いわば谷間に位置する都市です。下の写真で谷底平野に位置するナーブルスの様子がお分かりいただけるでしょうか。この2つの山のうち、ジャバル・ジェリズィーム(Mt. Gerizim)の頂上付近には世界でも2箇所しかないと言われているサマリア人*のコミュニティが今なお存在しています。ちなみにこのサマリア人の集落が、ナーブルス近郊で唯一お酒を飲める場所です(笑)。

*ユダヤ教徒の一派ですが、日常ではアラビア語を使っており、アラビア語を母語としています。サマリア人自らの歴史認識では、アッシリア帝国による古代イスラエル王国の滅亡を生き残りだとしているようですが、私自身、パレスチナの古代史に関してはまだまだ知識が浅いので、参考程度にして頂ければ幸いです。

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出典:http://looklex.com/e.o/nablus.htm

では、ナブルスは西岸のどの辺にあるのかと申しますと、エルサレムの北50キロ程のところに立地しており、エルサレムとダマスカスの中継地点としても機能してきました(その証拠にエルサレム旧市街のダマスカスゲートはナーブルスゲートとも呼ばれています)。現在でも西岸地区で2番目に大きな人口を有する街で(ちなみに1番はヘブロン)、パレスチナ地域の文化・経済の中心地としての役割を担ってきました。

さて、そんなナーブルスの名産品として世界中(少なくともアラブ世界)で有名なのが、オリーブ石鹸とアラブのお菓子クナーフェです。オリーブ石鹸に関しては書き出すとまた長くなるので、石鹸工場を見学した祭の話も交え、別の回の投稿に譲るとして、ここでは一度食べたら病みつきのクナーフェについて、ナブルス旧市街の街並みの写真を交えながら説明していきたいと思います。

では、まずクナーフェとはいかなる食べ物であるかを説明しなくてはなりません。暴力的なまでにディテールを無視して、一言でこのお菓子を形容するのであれば「アラブ版チーズケーキ」とも言えるでしょう。とは言え、これだけでは何も伝わりませんのでもう少し詳しく説明しますと、クナーフェは2層の層からなっていて、下にモッツァレラに食感の似たチーズの層が、上には小麦粉から作られたサクサクした生地の層があり、その上からとどめの激甘シロップをかけて完成です(中東のお菓子は基本的に歯に染みるくらいの甘さであることが常です)。

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さてこのクナーフェというお菓子ですが、アラブ地域以外にもトルコなどでもデザートとしてよく見かけることができます。ただなぜ、ナーブルスのクナーフェが有名かというと、ここナーブルスがクナーフェ発祥の地とされているからです。今までヨルダンやトルコでも何種類かクナーフェを食べましたが、今のところナブルス旧市街のクナーフェが、素朴ではありますが一番美味しいと思っています。

上の写真はそのクナーフェの名店の店頭で群がる男性たちの図ですが、こうした激甘スイーツに群がるのがほとんど男性であるというのが面白いところです。ただ、当然たっぷりのシロップとチーズを使っていますから、クナーフェ自体かなり高カロリーなデザートです。美味しいからといって食べ続けると加速度的に体重が増えていく代物ですので、注意が必要です。

さて、今回の投稿でも大したことが書けずに無駄なことばかりに筆が滑ってしまいましたので、この辺りで一区切りをつけたいと思います。次回もよろしくお願いします。