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ナブルスでの住まい

さて留学生活も残すところ僅かとなってまいりました。

授業はあと1週間と少し余りで終了し、残すは期末試験と卒業プロジェクトの論文のみとなります。パレスチナ滞在自体も残すところ2か月余りと思うと、時の流れの速さをつくづく実感します。

季節も春から、こちらはすでに初夏の様相を呈してきており、昼間に歩けばすぐに汗ばむような気候です。幸い日本と違い乾燥しているので、日陰にいれば涼むことが出来ますし、心配していたハマースィーン(ハムシンとも。خمسين、خماسين。
参考:
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%A0%E3%82%B7%E3%83%B3)も、まだ本格的なものは来ていません。

さてこちらでの生活も残り少なくなってきたということで、今更ですがナブルスでの住まいの写真をいくつか紹介したいと思います。実はこちらに来てから2回ほど引っ越しをしており、それもあって紹介が遅れてしまったというのもあります。

・現在の住まい

現在の住まいはナブルス旧市街から徒歩およそ5分の場所にある一軒家を、ノルウェー人の学生(彼もSOAS【ロンドン大学東洋アフリカ研究学院】の学生で、同じくナジャーハで勉強をしている学生です)と二人でシェアをしています。旧市街やシティーセンターから近く何かと便利ですが、授業があるニューキャンパスからはやや遠く、オールドキャンパスまで15分ほど歩いて行き、そこから乗り合いタクシー(片道2シェケル、60円ほど)でニューキャンパスまで行くので、30分弱かかります。

間取りですが、サロンが一つと、寝室が二つ(うち一つはマスターベッドルームで、かなり大きい)、キッチン、浴室、庭、バルコニーといった感じです。

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自宅キッチンです。前は家族が住んでいたようで、キッチン用具は相当充実しています。ただはじめは食器やらコップやらが多すぎて整理する必要がありました。
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ささやかな庭ですが、イタリアンパセリ、ルッコラ、赤かぶ、ねぎを育てています。この写真はだいぶ前のもので、最近ルッコラは一回目に植えた分は完食、パセリも食べられる大きさになったので、使いたいときに庭から切って食べています。先日ねぎ第一号を収穫しました。
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バルコニーからの眺め。向かい側に見えるのがジャバル・イーバールで、通称ジャバル・シャマーリーと呼ばれています。ちなみに自分の住んでいるのがジャバル・ジェリズィムで井戸が多く、我が家でも消毒された井戸水を無料で使えます。それといって美味しいわけではありませんが、普通に飲めるくらい綺麗です。
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自室です。机、中古ラジオはそれぞれ購入しました(各50シェケル)。布団などの寝具も備え付けでした。
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ささやかながら庭もついています。隣に5階建てくらいのアパートがあるので丸見えですが、天気のいい休日には外で朝食を食べたりすることもあります。この写真を撮った日は曇っていたのですが、普段はもう少し明るく日差しも差し込みます。
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浴室はやや狭めで、換気扇もなく使うとき以外はいつもドアを開けっぱなしにしています。お湯に関しては、ソーラーとヒーターの二種類があります。ヒーターはガスで沸かしますが、熱すぎたりと調節が難しく、途中で切れることもしばしばで冬場はなかなか辛い日もあります。晴れた日にはソーラーが良く動きますが、冬場は雨や曇りの日も多く、だいたいヒーターを使っていました。春夏はソーラーで熱いお湯が十分に出ますし、温度も一定しているので快適です。冬場にどうしてもあったかくゆっくり体を洗いたいときは、洗いだめして旧市街のハンマーム(通称トルコ風呂)に週末に行くこともありました。

家賃は月に1400シェケル、これに水道・光熱費・インターネット代を月に100シェケル、合わせて1500シェケルで、これを二人で割るので一人当たり750シェケル(約22,500円、1シェケル=30円計算)を月々払っています。この物件に入居した11月当初は3人で住んでいたので、一人500シェケル弱でしたが、諸事情により同居人が引っ越してしまったので、ナブルスの物件相場からいえば今は少し高くなってしまっています。

・ナブルス物件事情

ここでナブルスの物件相場について少し。基本的には物件を借りて、複数人でシェアする事になります。

まず自分の部屋を一つ持ちたいという方。

この場合、家賃は月最低でも500シェケル程度と考えていいでしょう。それに加えて光熱費や水道代などが入って来ます。この相場を考慮すると、現在の月家賃700シェケルは少し高い気もしますが、一軒家ですし、庭付き、かつアパートにありがちなルール(主に友人を泊めたり、部屋での飲酒)をそこまで気にしなくてもいいことなどを考慮すると、自分としては納得のいく価格だと思っています。もちろん近所からの信頼は大切ですので、ご近所さんを考慮する必要はありますが、それでもアパートのルールほどは厳しくありませんし、こちらの裁量に任されているところが大きいです。

また旧市街、ちょっとお洒落なレストランやカフェなどの集中するラフィーディヤという地区双方が徒歩圏内にあるという交通の便の良さもあります。

一方で、物件だけでなく各部屋をさらにシェアする場合。

現地のパレスチナ人の学生はだいたいこのタイプで、一部屋をさらに2人でシェアしていることが多いようです。大学付近ではだいたい月あたり250シェケルほどが家賃相場です。一部屋をさらに複数人でシェアしますから、一物件あたり6人、8人で住んでいるのが一般的です。大人数で住みますから、結果的に物が散乱して汚い物件もよくあります。大学付近の学生用アパートは建物ごとに男女で別れており、女性用の建物には間違っても入れませんから、女性の方がどうなっているかはよく分かりませんが、男子の部屋は全般的に芳しい状況ではないことが多いです。友人から聞く話では、女性の方でも汚い別件は汚いようです。

またラマッラ―との比較ですが、ラマッラ―だとシェアで自分で一部屋を持とうとするとだいたい250ドル以上はいくようです。ドルです、シェケルではありません(というのも外国人の多いラマッラーでは、外国人からはドル払いで徴収する大家が多いからです)。日本人の友人で、ラマッラ―在住の学生は中心部に住んでいることもあって300ドル以上払っている人がほとんどです。また外食費などを中心に、物価もラマッラ―の方がナブルスよりも全般的に高いと言えます。

・家賃以外のコスト

次に家賃以外の各種コストですが、水道代は基本的には高くないので大したことありません。ただ光熱費とインターネット代がなかなかかさみます。

現在住んでいる自分の物件は、水道・電気代・インターネット代が全て合わさって、月定額100シェケル、さらにこれを二人で割るので50シェケルのみで、なかなかリーズナブルです。なにより定額なのがありがたく、冬場でも電気代を気にすることなく電気ストーブを使うことが出来ました。ガスは自分たちで大家などに電話して無くなり次第新しいボンベを購入します。一つ60シェケルで調理用のコンロ用であれば2〜3ヶ月ほど、シャワーなどのボイラーですと1月半くらいの寿命であったと記憶しています。使用頻度にもよるのであくまで参考値にして下されば幸いです。

ただほとんどの大家は使った分だけ徴収するので、何人で住むかにもよりますが、どう考えても月100シェケルは上まるとは思います。一人当たりの負担は何人でシェアするかにも大きくよるので、具体的な値段をここで見つもるのは難しいですが、3人住まいの友人によると先月(3月分)の水道代が40シェケル、電気代が100シェケルだったそうです。インターネット代ですが、昔の大家によると最安プランで月55シェケルくらいだった記憶があります。

・家探しの方法

最後に家探しの方法ですが、ナブルスに関しては不動産業者などは存在せず、口コミで聞いて回るという原始的方法が基本的な手段となります。ラマッラ―などではインターネット上に物件情報が載っていることもあるようですが、ナブルスに関しては皆無です。

口コミの際にキーパーソンになってくるのが、スーパーマーケットの店主です。いわば近所一帯の人脈の結節点であり、住みたいと思った地区のスーパーマーケットの店主に空き物件を探してもらうのが最も基本的な手段と言えます。アラビア語を話せない最初は、友人などに手伝ってもらいながら物件を回るのがベストでしょう。

また留学生同士の情報交換も非常に重要な情報ツールであることに間違いありません。ちなみに今の物件はナブルス出身の友人伝いに見つけた物件です。パレスチナ人なら誰でも知っているというわけではなく、地元出身(つまりナブルス出身)のパレスチナ人の方が地盤があり、人脈もより多く持っていることが多いので、情報ソースも豊富です。

おそらく今までの投稿で最も実際に役に立つ情報をお届けできたのではないかと思います。家探しにはトラブルも多く、生活の基本となるものですから少しでもいい条件のものを探し当てたいものです。留学初期にはこうしたアドバイスできる知恵もなかったもので、こうして留学も終わりかけた今頃になって、住まいの情報をお届けできた次第です。すこしでも今後の留学生の方々にお役に立てばと思います、

 

ナブルス近郊でのハイキング

ご無沙汰しています。

冬休みも終わり、12月・1月の厳しい寒さも少しずつ和らいできているナブルスです。今年のパレスチナの冬は、例年とはだいぶ違うようで、地元の人をして「マジュヌーン(crazy、おかしな)」と言わしめるほどの寒さ、約80年ぶりの降水量の多さなのだそうです。

さて後期の学期も始まり、留学生活も折り返しを迎えてしまいました…。

今学期からはSOAS(University of London, School of Oriental and African Studies:ロンドン大学東洋アフリカ学院)の学生さんと一緒に授業を受けています。SOASは中東研究をはじめアジア・アフリカ研究で有名な大学で、ナジャーハはSOASのアラビア語専攻の学生の語学留学派遣先の一つになっています。

そして、今学期は卒業プロジェクトという名の小さな卒業論文みたいなものを提出しなければならないのですが、これに関してはまた別の機会に書きたいと思います。

今日は、来るハイキングシーズンを前にフライングで、友人とハイクしてきたナブルス近郊の風景を写真で紹介したいと思います。

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一枚目はナブルスの遠景です。二つの山の谷間にへばりつくように市街地が広がっているのがよく分かるかと思います。普段は山の上から見下ろすことが多いナブルスですが、こうして少し標高の低いところから見るのが新鮮でした。

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二枚目はオリーブ畑の写真。西岸に暮らしていて、「いまパレスチナにいるんだなあ」と感じる瞬間の一つが、あたり一面に広がるオリーブ畑を目にする時です。特にナブルス周辺など西岸地区中部から北部にかけての丘陵地は、オリーブ畑が占める割合が多いです。石垣はローマ時代から補修をしつつ使い続けているところも多いと聞きます。自分の目で見て、どれがローマ時代のものとかそういうのはよくわかりませんが、人の手で積み上げられただろう石垣が当たり一面に広がっている光景は、何世代にもわたって土地が管理され、受け継がれてきたことを暗に示しています。

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十字軍時代の建築物(立地上の条件からして何かしらの軍事的用途を帯びていたと思われますが)の遺構からの夕焼けです。ちょうど陽が沈んでいく下のほうにうっすらと光って見えるのは地中海です。この日は天気がよく、写真ではわかりませんがテルアビブ(もしかしたらネタニヤ)の高層ビル群の黒い影も見えました。ハイキングコースというのはあまり整備されていませんが、農道からちょっと足を伸ばして野道に入ると、どこでもハイキング出来てしまうのがパレスチナの魅力の一つかもしれません。

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同じ場所からの夕焼けです。大学の友人と、その友人でシンガポールから来ていた観光客の方と5人で歩きました。

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最後の一枚。このあとは暗闇の中を携帯のライトで照らしながら、オリーブ畑をひたすら歩きました。周りは犬が吠えたり、遠くから牛の声が聞こえてきたり、それなりに賑やかでした。そして何より星空が非常に綺麗でした。敦煌の砂漠で見た次くらいにはよく見えていた気がします。

最後の最後に、こんな本もありますということで、ご紹介。

“Walking Palestine; 25 Journeys to the West Bank” by Stefan Szepsi

自分はあまり利用したことはない本ですが、本屋で見かけるたびに買おうか迷っている本です。リンク先のページに西岸の様々な地域のハイキングの様子が載っているので、ぜひ参照ください。

それではまた。

 

メリー・クリスマス from ベツレヘム

大変ご無沙汰しています。

筆不精なもので、前回の投稿から随分時間が経ってしまいました。その間はというと、中間試験に始まり、小さなプレゼンテーション形式の発表などの準備に追われ、そしてあれやこれやのうちに学期末が近づき、今度は学期末試験の準備に追われ、気づけば年の瀬でした…。

さて今日はクリスマス・イブでしたが、せっかくパレスチナにいるのでイエスの生誕の地であるベツレヘムを訪れてきました。

世界中から人が集まるので大変な混み具合かと思っていましたが、渋谷のスクランブルに順応してきた身としてはそれ程の混み具合ではありませんでした。もちろん普段のベツレヘムの何倍も人はいたので大変活気はありました。

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ベツレヘム聖誕教会前、メンジャースクエアに立つクリスマスツリー。 パレスチナ国旗がてっぺんではためく。

ちなみに前日の23日は預言者ムハンマドの誕生日でした。二人の預言者の誕生日が連なるのは稀だそうです(ムハンマドの誕生日は太陰暦であるヒジュラ暦を基準としているので、西暦だと毎年ズレが生じます)。

預言者生誕祭はイスラームの中では犠牲祭(イード・ル・アドハー)やラマダーン明けのイード・ル・フィトルのように大きな祝祭ではありませんが、街の各地で太鼓などの楽器を使った小さな催しや大きな旗などが飾ってありました。今ウィキペディアで調べたところ、そもそもの生誕祭の起源に少し神秘主義教団の慣習と関わるところもあるようですね。ちなみにナブルスにも現役のハーンカー(亜:ザーウィヤ、神秘主義教団の修道場)があるようです。

さてクリスマスの話題に戻りますと、基本的には西岸の各都市はムスリムが多数派なので街の中でクリスマスの気配を感じることは皆無です。ナブルスではキリスト教徒が比較的集住し、教会もあるラフィーディアという地区にはクリスマスツリーが一つ立っていますが、それ以外には何らクリスマスを示すものはありません。

とはいえパレスチナはイエスがその人生を過ごした地でもあり、キリスト教徒の人口も多く抱えています。西岸で言えばラマッラーやビールで有名なタイベ、そしてベツレヘムなどがキリスト教徒が多い町、村として有名です。

日本の皆さんはどのようにクリスマスを過ごしたでしょうか。皆さん良い年末年始を!

イード・ル・アドハー・ムバーラク

こんにちは!
今日で5日間のイード休暇も終了し、いつものように学校が始まりました。
さて、「イード・ル・アドハー」と書きましたが、日本語で言えば「犠牲祭」のことです。ちなみに、「イード・ル・アドハー・ムバーラク」は「犠牲祭おめでとうございます」といったところでしょうか。

イード・ル・アドハーの宗教的起源に関してですが、クルアーンに描かれているアブラハム(イブラーヒーム)が彼自身の息子を神の命令に基づいて犠牲にしようとした故事を記念する祝祭です。
ちなみにアブラハム(イブラーヒーム)のこの故事は、旧約聖書の『創世記』にも描かれており、神の命令を信じてアブラハム(イブラーヒーム)が一人息子イサク(イスハーク)を犠牲にしようとする記述が描かれています。ただ、旧約聖書とクルアーンの記述にはいくつか差異があるようで、3つの天啓宗教、さらには各々の宗教内の宗派ごとにも細かな部分では色々な議論があるようです。
Wikipediaで恐縮ですが、さらに詳しく知りたい方は下記リンクを参照下さい。
ちなみに、イスラームではイードは2回あり、一つはこのイード・ル・アドハー、もう一つはラマダーン明けのイード・ル・フィトルです。イード・ル・アドハーの方が大きいので、大イード(イード・ル・カビール)などとも呼ばれます。

◎イード・アル=アドハー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%EF%BC%9D%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%8F%E3%83%BC
◎イサクの燔祭
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%81%AE%E7%87%94%E7%A5%AD

さてイード・ル・アドハーにまつわるこちらの慣習といえば、親戚のところを尋ねたり、特別な礼拝を行ったりなど様々なことがあるのですが、その中でも特徴的なのが羊を屠ることです。これも先ほどのアブラハム(イブラーヒーム)の故事に基づいた慣行です。
イード中の朝の礼拝後に羊を屠るのが決まりで、昔は各家庭に羊を連れてきて、男系家族がほぼ総出で行っていたようですが、最近では資金的な問題や衛生面、手間などの観点から、街の肉屋さんに自分で購入した羊を屠ってもらい、そこで必要な分の肉を家に持ち帰るという形式が広まってきているようです。
滅多にない機会なので、自分もルームメイトとイード初日に早起きし、朝の礼拝を見学させてもらった後、羊を屠っている肉屋さんを見学させてもらいました。以下の写真は肝心な部分はあまり写していませんが、血を見るのが苦手な方は避けられた方が良いかもしれません。

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羊ごとに番号がついており、これで誰が購入した羊かが分かるようになっています。
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肉屋の手捌きは非常に鮮やかでした。屠る前に「ビスミッラー・アッラーフアクバル(神の名において、神は偉大なり)」と唱えてから、屠っていきます。
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購入者の前で屠るのが決まりらしく、続々と羊を購入した人たちが家族を連れてやってきていました。

このようにして、犠牲祭中は羊を屠るので家では当然肉を使った料理が出てきます。イード中ヘブロン郊外の友人とベツレヘムに住んでいる友人を訪問し、ご馳走してもらった料理を紹介します。

ヘブロン近郊のダーハリーヤという町の友人の家でのマンサフ。この町は、西岸のほぼ南端に位置し、ネゲブ砂漠にも近く、週末にはベドウィンが車できて買い物をしに来るそうです。ダーハリーヤ自体もベドウィンが定住してできた町なのか、家庭でもマンサフが出てきました。
ヘブロン近郊のダーハリーヤという町の友人の家でのマンサフ。この町は、西岸のほぼ南端に位置し、ネゲブ砂漠にも近く、週末にはベドウィンが車できて買い物をしに来るそうです。ダーハリーヤ自体もベドウィンが定住してできた町なのか、家庭でもマンサフが出てきました。
ベツレヘムでこれまたご馳走になったマハシーとダワーリー(別名ワラカ)。マハシーはナスやズッキーニにご飯を詰めて煮込んだもので、ダワーリーは同じくご飯を葡萄の葉で包んだものです。どちらも多少味付けなどは異なりますが、中東で広く見られる料理です。
ベツレヘムでこれまたご馳走になったマハシーとダワーリー(別名ワラカ)。マハシーはナスやズッキーニにご飯を詰めて煮込んだもので、ダワーリーは同じくご飯を葡萄の葉で包んだものです。どちらも多少味付けなどは異なりますが、中東で広く見られる料理です。

 

結局、羊と羊肉を使った料理の説明に終始してしまいましたが、充実したイード休暇を過ごすことが出来ました。

ヘブロン

こんにちは。
さて今回はナーブルスを離れ、先週末の土曜日に大学主催のフリーツアーで行ってきたヘブロンについて書きたいと思います。ツアーではベツレヘムにも行ったのですが、ほとんど時間がなく1時間程度しかベツレヘムにしかいなかったので、ここではヘブロンについてに絞ります。

ベツレヘムはイエスの生誕の地として、パレスチナ/イスラエルではエルサレムの次くらいに有名な観光地ですので、皆さんご存知だとは思いますが、ヘブロンはなかなか知っている方は少ないかもしれません。
ヘブロンにはセム系一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教)の祖であるアブラハム(亜:イブラーヒーム)の募廟があり、イブラーヒーム・モスクの中にあります。
このアブラハムの聖廟はユダヤ教徒にとっても非常に重要な聖地であり、イスラエルの宗教右派の一部の人間による入植が激しいところでもあります。67年の第3次中東戦争でイスラエルの占領下に置かれ、その後97年のヘブロン合意以降に町の8割が自治政府に返還されましたが、現在も旧市街の一部を含む町の2割がイスラエル軍による占領下にあります。

今回のツアーの主眼はこうした政治的な側面ではなかったということと、単純に時間がなかったなどの理由もあり、上述のイブラーヒーム・モスク、クーフィーヤ工場、靴工場、ガラス工場に見学に行きました。
ヘブロンはアラビア語ではアル・ハリール(Al-Khalil)と呼ばれ、西岸最大の都市の一つです。古くからパレスチナ内陸部の産業・経済の中心であり、ガラスや陶器の生産が特に有名です。

下の写真は靴工房の写真です。

さらに下の写真はクーフィーヤ工場での1枚。クーフィーヤにはいろんな柄がありますが、この白と黒の模様はパレスチナカラーです。そもそも、パレスチナ・ナショナリズムが興隆する以前に、現在の領域で言うところのパレスチナ全域でこの模様が一般的であったかは確証がありませんが、アラファトがこのクーフィーヤを象徴的に使い始めて以降、パレスチナの政治的・文化的シンボルとして世界中に知られるようになっていきました。

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よく見るとSUZUKIの文字が。クーフィーヤを作っている機械は日本製だったんですね。

そしてお次は、イブラーヒーム・モスクの内部の写真です。

 

最後にヘブロンの街角での写真をば。

 

 

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写真からも分かるように天気の良い日でした。暦の上では昨日(9月21日)から秋だそうです。

明後日、木曜日からイード・アル・アドハー(イスラームの犠牲祭)が始まります。今日は休暇の準備のための買い出しで街角は人で溢れ、家に帰るセルビスを捕まえるのにさえ一苦労でした。さながら日本の年末の様相を呈しております。少し渋谷や新宿の人ごみを思い出しました。

それでは。

カフェテリアの様子

こんにちは。
相変わらず学校の課題や慣れない自炊などに追われる日々を過ごしております。
今日は学食(カフェテリア)の様子について手短に報告したいと思います。

ナジャーハ大学は生徒数がパレスチナで最も多く、パレスチナでは最大の大学で、本拠地であるナーブルスにもオールドキャンパスとニューキャンパスの2つのキャンパスがあります。
普段私たちがアラビア語の授業を受けているのは、ニューキャンパスにある図書館内の教室です。ビザの面倒を見てくれる国際部や、教授のオフィスなどの本部機能は大体オールドキャンパスの方にあるので、手続きの際などは自分たちもオールドキャンパスに行くことがあります。
ですが、週5日の授業は全てニューキャンパスで行われるので、今日はニューキャンパスのカフェテリアに限って報告したいと思います。
ちなみに食堂のメニューなどは両キャンパスともほとんど変わりませんが、ニューキャンパスのものの方が席数、広さともに倍くらいあります!

ニューキャンパスのカフェテリア。アラブポップが常に爆音で流れています(全席禁煙◎)。
ニューキャンパスのカフェテリア。アラブポップが常に爆音で流れています(全席禁煙◎)。
本日の昼食。ファラフェルサンドとグアバジュース。
本日の昼食。ファラフェルサンドとグアバジュース。

上の写真では「本日の」と書きましたが、大体毎日このセットで食べています(笑)
ファラフェルサンドは1つ4シェケル(約120円)で、これだけで十分お腹いっぱいになる代物です!食堂のメニューはほかにもありますが、8割型の生徒はこのファラフェルサンドかファラフェルの代わりにハムやチーズを挟んだものを食べていますし、コスパ的にもファラフェルサンドは他のメニューの中で郡を抜いています。
前に一度だけシャワルマを頼んだことがありますが、これもまた非常に美味でした。ただ11シェケルするので、なかなか毎日食べるわけにはいかず、たまに肉をどうしても食べたくなった時だけにしようと思っています。

 

数年ぶりの規模の砂嵐…。

こんにちは、留学生のマサトです。
昨日からシリアやレバノン、ヨルダン、パレスチナなどの地域で、数年に一度規模の砂嵐が猛威を奮っています。
特に風が強かったり、目が開けられないといったことはないのですが、逆に言うとそれだけ粒子が細かく、空気全体が重く埃っぽい嫌な天気です。。
下の写真は昨日の大学構内の様子。普段は向こう側の山まで見えますし、もっと美しいのですがこの有様です。参考までに大学のFBページから通常時の写真を添付しておきます。

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<昨日の構内>
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<昨日の構内②>
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<普段の様子> 出典:https://www.facebook.com/annajah.edu?fref=ts

また天気が回復したころに、構内の様子を紹介できたらと思います!

さて今日は少し大学の授業の様子についても紹介していきたいと思います。

まず基本的なスケジュールですが、日曜から木曜まで(アラブ世界では金土が週末のところが多いです)の週5日授業があり、朝9時から30分の休憩を挟んで、90分の授業が2コマあります(つまり12時半には授業は終わります)。
スケジュールだけ聞くと、結構ゆったりしているようにも聞こえますが、毎日宿題を出され、量もそこそこ多いのでスケジュールの見かけよりは結構忙しい日々を送っています。

次に授業の内容に関してですが、日本人3人の学生は5種類のコースを現在履修しています。「読解」「会話」「時事」「文法」「アーミーヤ(方言、話し言葉)」で、最初の4つはフスハー(正則アラビア語、書き言葉)を勉強し、先生もフスハーを使って授業をします。「アーミーヤ」だけはアーミーヤ(パレスチナ方言)について勉強し、先生もアーミーヤを使って授業をしてくれます。ちなみにナジャーハ大学のArabic for Non-Native Speakersでは、全ての授業はアラビア語のみで行われます。分からない単語があったら、アラビア語で言い換えて説明してくれます(笑)。

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アーミーヤの授業の様子です。アーミーヤでの動詞の活用の仕方を教えてくれています。
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授業で使っている教科書の一覧です。大学が独自で作成している教材がほとんどです。

 

明日もまた授業です。頑張ってきます!

ジバール・ナブルスとクナーフェ

さて今回の投稿では、ナブルスの街の概要と名産品クナーフェについて紹介していきたいと思います。

タイトルに書きましたジバール・ナブルスはアラビア語で、日本語にすれば「ナブルス山系」といったところでしょうか。パレスチナを訪れたことのない人には想像が付きにくいかもしれませんが、西岸地区を含め、パレスチナ地域の内陸部の多くはいくつもの山(丘陵)が連なる起伏の多い地形です。北部のガリラヤ地方などは平野が広がっていますが、例えばエルサレムなどもジバール・アル=クドゥスなどと呼ばれていますし、西岸南部のヘブロンなども標高は1,000メートル近くあります。

そうした中で、ナーブルスという町はジャバル・イーバール(Mt. Ebal)とジャバル・ジェリズィーム(Mt. Gerizim)という2つの山に挟まれた、いわば谷間に位置する都市です。下の写真で谷底平野に位置するナーブルスの様子がお分かりいただけるでしょうか。この2つの山のうち、ジャバル・ジェリズィーム(Mt. Gerizim)の頂上付近には世界でも2箇所しかないと言われているサマリア人*のコミュニティが今なお存在しています。ちなみにこのサマリア人の集落が、ナーブルス近郊で唯一お酒を飲める場所です(笑)。

*ユダヤ教徒の一派ですが、日常ではアラビア語を使っており、アラビア語を母語としています。サマリア人自らの歴史認識では、アッシリア帝国による古代イスラエル王国の滅亡を生き残りだとしているようですが、私自身、パレスチナの古代史に関してはまだまだ知識が浅いので、参考程度にして頂ければ幸いです。

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出典:http://looklex.com/e.o/nablus.htm

では、ナブルスは西岸のどの辺にあるのかと申しますと、エルサレムの北50キロ程のところに立地しており、エルサレムとダマスカスの中継地点としても機能してきました(その証拠にエルサレム旧市街のダマスカスゲートはナーブルスゲートとも呼ばれています)。現在でも西岸地区で2番目に大きな人口を有する街で(ちなみに1番はヘブロン)、パレスチナ地域の文化・経済の中心地としての役割を担ってきました。

さて、そんなナーブルスの名産品として世界中(少なくともアラブ世界)で有名なのが、オリーブ石鹸とアラブのお菓子クナーフェです。オリーブ石鹸に関しては書き出すとまた長くなるので、石鹸工場を見学した祭の話も交え、別の回の投稿に譲るとして、ここでは一度食べたら病みつきのクナーフェについて、ナブルス旧市街の街並みの写真を交えながら説明していきたいと思います。

では、まずクナーフェとはいかなる食べ物であるかを説明しなくてはなりません。暴力的なまでにディテールを無視して、一言でこのお菓子を形容するのであれば「アラブ版チーズケーキ」とも言えるでしょう。とは言え、これだけでは何も伝わりませんのでもう少し詳しく説明しますと、クナーフェは2層の層からなっていて、下にモッツァレラに食感の似たチーズの層が、上には小麦粉から作られたサクサクした生地の層があり、その上からとどめの激甘シロップをかけて完成です(中東のお菓子は基本的に歯に染みるくらいの甘さであることが常です)。

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さてこのクナーフェというお菓子ですが、アラブ地域以外にもトルコなどでもデザートとしてよく見かけることができます。ただなぜ、ナーブルスのクナーフェが有名かというと、ここナーブルスがクナーフェ発祥の地とされているからです。今までヨルダンやトルコでも何種類かクナーフェを食べましたが、今のところナブルス旧市街のクナーフェが、素朴ではありますが一番美味しいと思っています。

上の写真はそのクナーフェの名店の店頭で群がる男性たちの図ですが、こうした激甘スイーツに群がるのがほとんど男性であるというのが面白いところです。ただ、当然たっぷりのシロップとチーズを使っていますから、クナーフェ自体かなり高カロリーなデザートです。美味しいからといって食べ続けると加速度的に体重が増えていく代物ですので、注意が必要です。

さて、今回の投稿でも大したことが書けずに無駄なことばかりに筆が滑ってしまいましたので、この辺りで一区切りをつけたいと思います。次回もよろしくお願いします。

留学生活の開始

ナブルスより、こんにちは!
留学生のマサトです。つい先日、8月21日にパレスチナ(イスラエル)に到着し、学生証の発行手続きやプレースメントテストの受験など、暇そうで忙しい日々を過ごしておりました。

今回の初投稿では、1)入国時の流れ、2)空港からナブルスまでのアクセス、つまりナブルスってどこにあるのかということについて書きたいと思います。

まず、最初に入国時の流れに関してですが、なぜここでわざわざ紙面を割いてまで入国手続きに関して書くかというと、イスラエルの出入国管理は世界でもトップレベルに厳しく、特にパレスチナと関係のある政治的活動をしている人物などに対しては、より厳しいチェックが往々にして行われる場合があるからです。今回はあくまで私個人の場合ですので、ほんの参考程度に考えていただければ幸いです。

以前に旅行で訪れたこともあるため、今回のイスラエルへの入国は3回目でした。入国にはテルアビブ近郊のベングリオン国際空港を使用しました。以前、ヨルダンから陸路でキングフセイン(アレンビー)橋の国境(正式な国境ではありませんが)から入国したこともありますが、荷物検査が何重にもある上、パスポートコントロールでも3時間近く待たされました。幸運にも私は特別な取り調べは受けませんでしたが、非常に骨の折れる国境越えだったことに違いはありません。
しかし今回は空港のパスポートコントロールで入国審査官に滞在目的を尋ねられ、アラビア語留学であることを告げると、一度入国審査官の詰所のような別室に連れて行かれはしたものの、合計で15分ほどの短時間で入国が許可されました。
ほとんどの日本人の観光客の方は同様にスムーズに入国できるはずですが、正直アラビア語を学びにパレスチナに行くと言って、かくも短時間で通過できることにはやや驚きました。なぜなのかについては、果たしてナジャーハ大学からのオフィシャルレターが功をそうしたのか、こればかりはイスラエル側の入国審査官のみぞ知ることなので何とも言えません。ただ、今回ナジャーハに留学しているほかの日本人学生2人も同様に問題なく通過したこともここに付記しておきます。

次に空港を出てからですが、まずパレスチナ(西岸)に行くためにはまずエルサレムに行く必要があります。空港からエルサレムまではシェルートという乗合タクシーが出ていますので、これでエルサレムの自分の好きなところまで行くことができます。西岸に行くには旧市街のダマスカスゲートまで行き、その近くのナブルス通り沿いにあるバス停から西岸の政治の中枢であるラマッラー行きのバスに乗り込みます。
ラマッラーは人口規模の面では大きな街ではありませんが、西岸の政治・経済の中心地で、西岸内の公共交通機関(といってもバスとセルヴィスしかありませんが…)も、ラマッラーをハブにして主要都市を結んでいます。ナブルスへも、ラマッラーから直通のバスが出ていますので、これに乗ってようやくナブルスに到着です!

Map_of_Palestine

http://www2m.biglobe.ne.jp/ZenTech/world/kion/Palestine/index.htm

それでは次回の投稿では、大学での授業の様子やナブルスという町について紹介していきたいと思います。