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ラマダン5日目の現地から

アキラさんからラマダン5日目のイフタールメニューを紹介いただきました。

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同居のマジドが田舎セルフィートおじさん宅から持ってきたものメインです。

鍋の黄色いものがラバンマカシーلبن مخشيで手前のルッズと合わせます。مخشيはمخشيをラバンにつけたものだそうです。真ん中がサンブーサでサウジオリジンの手作りです。ザーキーでした。今回私はサラータを刻んだだけです。


مخشيをルッズ(お米)に乗せたところ。

明日はマジドは友人から誘われてعبال山中腹の展望マトゥアムسماء نابلسに行きイフタール、夕方からコーラン読誦競技会にも出て、金曜日はアルクドゥス礼拝したいそうです。

 

留学生の「アメリカ大使館エルサレム移転」についての所感

昨今大騒ぎのアメリカ大使館移転の問題について、留学生のアキラさんから以下のようなレポートを送っていただきました。
以下に原文のまま掲載させていただきます。

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「2018/5/17(木)ラマダン初日所感」

こちらは、極めて(不自然なほどに)、何事もなかったかのように5/14は過去になっています。イスラエルの取り締まりは、正直日常レベルに戻ったという感じです。何人にも話を聞きました。いろいろな回答がありましたが、まとめると以下です。

「①ガザの包囲(天井のない監獄)は、今回の(3/30土地の日から毎週金曜日に繰り返されてきた「国境」フェンスへの平和行進デモから、米大使館移転反対・ナクバ70年に至り)、平和行進への弾圧への怒りが沸点に達したのは当然である。大弾圧(無差別発砲、催涙ガス弾の投下「虐殺」)が予想されても人びとが行動に出たのは同じパレスチナ人として心の中(底)で(怒りを)共感する。

②しかし、ダッファ(ガルビーヤ)「西岸」ないし「西岸自治区」の住人としては、行動(デモ、行進、インターネットでの反対表明その他)したくても、1)2つの権力(=パレスチナ当局とイスラエル)双方から行動を禁止・制約されるのでできない、2)もしもインティファーダの再燃をしたならば、その結果は2度のインティファーダの結果がすべてである。すなわち、「占領احتلال」下にあることを爆撃・破壊・暴力によって思い知らされ経済がストップし日常生活が破綻する(その復旧までに10年は要した)

③今、人びとが求めているのは日常生活の安定である。これは「占領」を受け入れ(沈黙する)ることと引き換えに手にする代償であり、そのことは暗黙に人びとが承認している(パレスチナ西岸自治区政府は、言葉では猛反発しても、実際はイスラエルと平和条約を下に「協力」関係にある)。

④1)アルクドゥスは、「アルクドゥスアルムフタッラالقدس المحتلة」つまり自治区ではなく、イスラエル占領下にあるイスラエル領である。IDカードは自治区の緑色ではなく、青色。それは「ダーヒルالداخل」

(1948ナクバで残り「イスラエル人」国籍となったアラブの人びと<パレスチナ人>)と同様にイスラエル内移動が自由である。また逆に、緑色IDの西岸自治区住民はほとんどがアルクドゥスに入ることを禁止されて入れない。

※「エルサレムのユダヤ化تهويد القدس」が1967年から継続して進められているが、5/13はイスラエルにとってこの記念式典日であった。

2)アル・クドゥスの人びとにとって、今回のアルクドゥスでのイスラエルによる圧倒的制圧は「通常の規制・弾圧行動を超えている」。しかし、昨年7月のアルアクサーモスク弾圧に対してのエルサレム住人による「アルアクサーの勝利」と比べ、なぜ行動しないのかは、「(イスラエル)当局からの禁止」と「宗教に関わること(これが第1で譲れない)ではなく、次元が違う(政治である)」、また多くの他の西岸自治区でも言われる「大学・学校の年度末試験中、高校3年のタウジーヒー、そしてラマダン直前であることで、みな忙しくタイミングが悪い」ことを理由としてあげる。

⑤最後に一言で人びとはこれまでの日常的な全体の抵抗運動に疲れを感じていて、「政治から距離を置く」ことが一般感情と言えます。一例に、新聞購入およびニュースを追うことにパレスチナでは辟易としている、それは記事がすべて事件、弾圧、殉教の繰り返しで埋められているという認識がある。」

いわゆる、「安全度」については外務省避難勧告レベル3とレベル2の違いは、逆ではないかと思うのが前記の事情を背景とした生活感覚です。完全に日本政府とイスラエルとの政治的関係で決まっていると感じます(イスラエル(ユダヤ)人が西岸自治区に行くのは「危険」で、チェックポイントに赤い立看板で警告がある)。イスラエル内から見れば危険度はそうなのでしょう。

事実上、5/14(歴史的日のはずだった)は過ぎ去り、人びとはラマダンに邁進しています。イスラエルも今までもいくつか起きてきた突発事件として警戒度はその時にあげたが、また日常警戒に戻っている(が、これが今まで継続されている日常的制圧・弾圧状態)。

なので、西岸自治区に住む者としての感覚は、「日常レベル、普通」です。

ガザと西岸の分離・分断・政治的亀裂も大きいでしょう。先に言及した内心では同情するが、行動はしたくないというのがここの本音と言えます。

2018年ラマダン初日の現地からのレポート

ラマダン初日が今学年度最終日だったこともあり、同居の方々は揃って帰省され、一人でラマダンを迎えているアキラさんから、ラマダン初日の様子が送られてきました。

アメリカ大使館の移転に伴い、現地の情勢が騒がれておりますが、14/5は過ぎ去り、今はみなラマダン一色のようです。

一人イフタール(サウムせず)です

タマルヒンディ、ダジャージュバンドゥーラ(スパイス味付きの鶏肉とトマト炒め)、キュウリ、ホンムス、フブズ

急に隣人からの差し入れマハーシー(ナス、ワラカトイナブ>ダワーリーالدوالي> )

イフタール2時間前のラマダン初日のバラド(旧市街)

 

留学生のお国料理食事会

プログラム参加者のアキラさんから大学で開催された、校内学食で各国留学生が作成したお国料理を囲み、お食事&懇親会の様子を報告していただきました。こちらは概ね年1回ほど開かれているようです。

今回の料理参加国は、日本・インド・イエメン・ノルウェー・アメリカ・イギリス・オランダ・イタリア、そしてパレスチナでした。

皆さん力作が並び、どれもとても美味しそうです。

   

日本からのアキラさんは、おにぎり(海苔巻きと味噌焼き、中に昆布鰹節)と胡瓜と人参の浅漬け、味噌汁(インスタント)、緑茶といったヘルシーな献立を用意された模様です。

 

皆さんの濃い献立のお蔭か緑茶が大変人気だったそうです。

留学生近況「現地学生との共同生活②男の料理と授業内容の変更」

現地の学生3人との共同生活中のアキラさんから近況報告をいただきました。
今日の料理の様子です。

レンズ豆

今日はمجدرةで(レンズ豆の料理)、イマード担当でした。アダス(レンズ豆)と玉ねぎを炒め、浸した米を一緒に茹でたもので、付け合わせにムハッラル(ピクルス)と今日はトマトとピーマンのカットにオリーブで、極めてヘルシーでした。

 

一方、授業の様子はこんな報告を受けています。

「卒業プロジェクトも準備が始まり、多少プログラムの変更がありました。

スィヤーサ(政治)2時間、ティジャーラ(貿易)2時間を変更し、イスティマーア(リスニングが週2回4時間になりました。そして火曜日の12:30-14時にSOASのキターバ(作文)に加わることになりました。

また元々木曜日にあったキターバ2時間は、ティジャーラ1時間、卒業プロジェクト1時間に変更となり、結果今までより1.5時間増しの週16.5時間になりました。」

リスニングや作文が増え、留学プログラムがより実践的になった感じでしょうか。

 

留学生の小旅行「ワディ・ケルト」

2018年3月7日現在、ただ一人の日本人留学生アキラさんからパレスチナ国内での小旅行のレポートが届きました。その概要を紹介させていただきます。

ワディ・ケルト探索

エルサレムから東に約20km、アリーハ(ジェリコまたはエリコ)أريحا にある渓谷、ワディ・ケルトوادي القلطをSOAS学生たちと一緒に1日探索しました。

ワディ・ケルトは、高く切り立った岩山に自然にできた亀裂で、エルサレムからジェリコまで約45kmの長さに及ぶ渓谷です。冬のハイキングにはとても良い場所です。

ガイドとともに、دير القلط(聖ゲオルギオス修道院)からスタートし、途中緑地で昼食をとり、ワディに沿って歩きました。アイン・アルフッワールعين الفوارの泉と滝で水遊びしてから、最後の急坂を登り停車場まで5時間ほど歩きました。思いのほか絶景で、良い気分転換でした。

 

事務局ひと言メモー聖ゲオルギオス修道院ー5世紀後半に建てられたと言われるが、現在のものは1878年~1901年にギリシア正教会により再建された修道院。岩をくりぬいて造られたもので、渓谷の岩肌にへばりつくように建っています。アリーハの見所の一つ。

Dr. Avishai Teicher Pikiwiki Israel

 

留学生の学習プログラム例

ナブルスに戻ったアキラさん(既に上級のレベルを終了し、許可を得て一部大学の学部の講義への出席も認められています。)から、留学プログラムについて現地の先生方と打ち合わせを行ったと報告をいただきました。
複数の先生が授業に携わっていて、その中には現在サウジアラビアに小巡礼(ウムラ)に赴いている先生がおり学習プログラムを完全に確定はできなかったということですが、おおよその内容は確定できたそうです。
アキラさんの向こう3カ月の学習プログラムは概ね以下の通りだそうです。

毎日9時始まりで全部で週15時間、アンミーヤ(パレスチナ方言)1.5時間×2日、アダブ(文学)2時間×2日、スィヤーサ・ワ・ティジャーラ (政治と貿易) 2時間×2日、ムハーダサ(会話)とキターバ(ライティング) 4時間。

授業の一部はSOAS(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)からの留学生と合同で受講するものもあるそうです。
留学期間の長いアキラさんの場合は初級や中級コースと違い先生方も授業内容や課題に様々なアレンジを加えているようです。

会話の授業風景


使用教材例:
上左から文学、政治、パレスチナ方言
下左からライティング、貿易、会話

留学生近況「現地学生との共同生活」

一時帰国していたアキラさんが再度ナブルスに戻り留学生活を再開しました。
以前は他の日本人留学生とアパートをシェアして生活していましたが、今回は現地の学生3人との共同生活になったとのことです。早速4人の共同生活の様子を撮影した写真を送ってくださいました。
弊社Facebookでも記事を紹介しました。